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(奈良)⇒大和平野⇒吉野山・金峯山寺(きんぷせんじ)





169号線で奈良から吉野山へ向かう途上で、天理市を通過しました。のどかな田園風景が続いていました。
この道路沿いには古墳が多く、その歴史を実感したしだいです♪






この丘は「甘樫丘」と呼ばれ、大化の改新以前に蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたと。




遠くに高取山を望む、明日香村の光景は、のどかの一言でした。




吉野川に掛かっている吉野大橋を渡れば、待望の吉野山へ。遠くの鉄橋は「近鉄吉野線」です。




近鉄吉野線の終点「吉野駅」近くの駐車場でのショットです。ここだけでも十分に春爛漫を堪能しました。







 

 

千本口から金峯山寺までの沿道には、みやげ物や旅館が立ち並び、平日にもかかわらず人波が絶えませんでした。




金峯山寺の仁王門(国宝)です。重層入母屋造りで、棟の高さは20.3mと。




大峰山上まで三つの門があり、この銅の鳥居(かねのとりい)は、第一門で「発心門」とも呼ばれ、創立年代は不詳と。




蔵王堂(国宝)は金峯山寺の本堂で、本尊蔵王権現三体のほか、多くの尊像が安置されています。











蔵王堂(国宝)は重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34mで、安土桃山時代に再建されています。




金峯山寺から中千本、上千本へ通じる道に出る所にあった鳥居です。




金峯山寺より東南に位置する東南院の多宝塔です。現在の東南院は宿坊も営むとのこと。




東南院の直ぐ傍にあった吉水神社の鳥居です。これをくぐり、中千本、上千本などを一望できる吉水神社に行きました。








満開の中千本(桜)です。右奥方向に上千本、奥千本(視界外)と続きます。






右上の寺は、平安時代の延喜年間(901年 - 922年)に日蔵上人により開かれたと伝わる如意輪寺です。
本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓があると。





この吉水神社の前身、吉水院は約1300年前に創建された僧坊でしたが、明治8年に神社と改められたと。






豊臣秀吉が吉野の花見の本陣を、ここ吉水院に決めたとき、この桃山様式の庭園が造られたと。




正面奥にある建物が吉水神社の書院です。日本住宅建築史上では、初期書院造の代表的な傑作と。




書院には後醍醐天皇南朝の皇居の面影を残す一室がありました。


 

山を下り、駐車場へ戻る途中の光景です。






下千本が吉野千本桜の見納めとあいなりました。




長谷寺に向かう途上、吉野川を渡り、伊勢街道に入った所で吉野山・金峯山寺とさよならの挨拶を♪







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